グザヴィエドラン たかが世界の終わり
新宿武蔵野館でグザヴィエドラン監督作品、「たかが世界の終わり」を観ました。
この映画は自分で観てラストで「ほおーっ。」となるのが1番です。
大事なのでもう一度。
自分で観て「ほおーっ」となるのが1番です。
つまり、この映画の何がすごいのか自分でストンとくるのを楽しむ映画なのです。
しかし、この先を読むとちょっとその感覚が薄れるかもしれません。それでも良いならば。
この映画は、小説を読んでいるような感覚にさせます。
設定はわかりませんから、映画のセリフや表情で慎重に家族の構成と家族の間のパワーバランスを見つつ、話の展開を追う必要があります。
加えて、セリフを一つ一つ追っていると疑問が大量に沸き、展開と照らし合わせつつ疑問を取捨選択する必要もあります。
以下、軽く話の流れと家族構成についてまとめます。
主人公は家を十数年開けており、病気であることを言いにきたものの、接し方がわからず、さらに家族側も接し方がわからない状態で話が進み、主人公は病気であることが言えず、今住む場所に帰ります。
家族構成は妹、兄とその妻、母。お父さんは亡くなってます。兄は子供がいますが連れてきていません。
最後に。
人の意見や気持ちを聞き入れられない人は、家族を引き裂くのでしょうね。
たかが世界の終わり HP
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